ベースボールと野球の起源

17組2番 有田 龍大

【目的】

 現在、日本で野球は高い人気を得ている。アメリカで発祥したベースボールが明治維新に日本へと渡り、野球に変化した。本研究では野球の原点であるベースボールに着目し、そのルーツと、日本に伝播された経緯を、日本に野球を伝えたホーレス・H・ウィルソンを用いて明らかにすることを目的とする。

【各章の概要】

第1章 アメリカにおけるベースボールの起源
 14世紀に、イギリスでスツール・ボールというゲームが生まれた。後にこれはクリケットと名前を変え、大勢の人に愛された。             当時、イギリスの植民地であったアメリカは独立戦争を起こし、イギリスから独立した。アメリカでは、タウンボールと変化した。マンハッタン島に住むカートライトは、よりゲームが面白くなるようルールを定めた。そしてベースボールが生まれた。
 1861年に南北戦争が起こった。この戦争でベースボールがアメリカ全土に広まった。戦争に出兵した兵士が、戦場にバットやボールを持っていき、戦場でベースボールを行った。戦争後、工業が急速に発展し、鉄道が完成した。除隊した兵士たちによって、鉄道に乗って、瞬く間にアメリカ全土に広まっていった。

第2章 ホーレス・H・ウィルソンと日本
 アメリカのメイン州ゴーラムで10人兄弟の4番目で生まれた。彼は地元のハイスクールを卒業した後、数学の教師を行い、南北戦争に出兵した。そこでベースボールを行った。日本政府からの要請でお雇い外国人として1871年に日本に来日し、南校(現在の東京大学)で教師を行った。休み時間にグラウンドで学生たちとベースボールを行い、指導した。この時、日本に初めてベースボールが伝えられた。
 学生たちに指導しながら、彼は自らもプレイヤーとしてゲームに参加した。
 帰国後、彼はサンフランシスコで生活を送り、Mechanic’ Instituteの図書館主任司書、同理事、サンフランシスコ市の市政監督に選ばれた。1927年に動脈硬化が原因で死去し、サイプレスローン記念墓地公園に彼の墓がある。

【結論】

 このベースボールを野球と名付けたのが中馬庚であった。彼は鹿児島の出身で、第一高等学校(現在の東京大学)のベースボール倶楽部所属し、1894年に「一高ベースボール倶楽部史」をまとめることとなった。そこでベースボールの和訳を思考し、“Ball in the Fields”から「野球」と訳し、「一高ベースボール倶楽部史」を「一高野球部史」と書き直し、翌年発行した。当時の一高の影響力は大きく、以来「野球」という言葉が日本に定着した。
 日本に伝えられたベースボールは名前を変え野球と呼ばれるようになり、本来の遊び感覚が無くなり試合に勝つことが重点に置かれるようになった。そして、今現在の野球がある。
イギリスで生まれた遊びが、アメリカでベースボールと変化し、戦争によりアメリカ全土に広まった。そのゲームは一人のお雇い外国人によって日本に伝えられ、日本にも広まった。ホーレス・H・ウィルソンの功績は大きく、スポーツの歴史上欠くことのできない人物だろう。

【主要参考文献】

1 「明治維新と日米野球史」 島田明著作 文芸社 2001年
2 「明治5年のプレーボール 初めて日本に野球を伝えた男―ウィルソン」 佐山和夫著作 NHK出版 2002年
3 「日本野球史」 国民新聞社運動部著作 ミュージアム図書 2000年