「靖国神社・遊就館」視察報告書

報告者:赤津杏奈・久保田隼哉・松尾賢治・山田裕太郎(第5期生)
視察日:2013年1月8日(火)

はじめに

 2013年1月8日、後藤ゼミ5期生は、靖国神社境内で初詣を行い神社内の遊就館を見学した。就職活動中ということもあり、初詣で就職活動の成功を祈り、おみくじで今年の運気を占った。視察して、学んだことや感じたことについて、記すことにした。

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図1 記念写真(拝殿前)

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図2 記念写真(遊就館付近)

1 靖国神社、遊就館の起源

 靖国神社の起源は、1869年6月29日に建てられた東京招魂社に遡る。明治天皇は、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために、東京九段のこの地に「招魂社」を創建した。この招魂社が今日の靖国神社の前身で、1879年6月4日には社号が「靖国神社」と改められた。1853年のペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、その柱数は、計246万6532柱にも及ぶ。当初、祭神は忠霊、忠魂と称されていたが、1904年から翌年にかけての日露戦争を機に新たに「英霊」と称されるようになった。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされている。
次に遊就館の起源について記す。遊就館は、祭神の霊を慰め、その徳を頌するため絵馬堂を兼ねて祭神の遺物を陳列する所とし、1878年に建築に着手した。1882年、幕末維新の新政府軍(官軍)戦没者ゆかりの品を展示する目的で開館した。

2 極東国際軍事裁判における判決書

 遊就館前には、パール判事顕彰碑がある。日本では極東国際軍事裁判(東京裁判)においてインド代表判事として派遣され、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(パール判決書)で知られる。パール判決書には次の内容が記されている。
・「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争をしたことは犯罪であるとし、彼らを処刑するのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」
・「この裁判は文明国の法律に含まれる、貴い諸原則を完全に無視した不法行為である」
・「ただ勝者であるという理由だけで、敗者を裁くことはできない」
・「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の(無差別殺人の)指令、および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」
パール判事はこのように、全面的に日本は無罪であると主張した。これは国際法上、日本を有罪であるとする根拠が成立しない、という判断によるものである。また、「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」、「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。
その後は、国際連合国際法委員会委員、世界連邦カルカッタ協会会長、国際連合常設仲裁裁判所判事などに就任し、1966年には、昭和天皇から宝章を授与された。

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図3 遊就館前のパール判事顕彰碑

3 靖国問題

 問題点には次のような考えが挙げられる。

・首相が定めた政教分離原則への違反にあたる。
憲法20条には、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と記されている。この憲法と、首相が公用車で靖国神社に乗り付け、大勢のSPを引き連れて参拝し、「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳して参拝する行動を照らし合わせると、首相の行動は日本政府が靖国神社という宗教団体を支援する行為にあたり、国民の信教の自由を侵害していることになることがわかる。

・戦死した軍人と軍関係者のみを神として祀るのは、平和主義を掲げる日本に相応しくない。
 靖国神社は、戦死した軍人を神として祀る神社であり、軍国主義の時代には、靖国に神として祀られることが日本人にとっての最高の栄誉とされた。そのため、戦後、靖国神社は戦前の軍国主義のシンボルと見なされた。このような神社は平和を願う場としてふさわしくないだけでなく、首相が国を代表する立場で参拝することは、軍国主義を賛美することにつながる。

・A級戦犯が合祀されている場への参拝は、日本の戦争責任を否定することに繋がる。
 A級戦犯とは、極東国際軍事裁判で日本の軍国化に指導的役割を果たしたとされ、死刑、または無期懲役の判決を受けた者達である。彼らは、「お国のために」と徴兵され、戦死した一般の兵士とはまったく立場が異なる。このような場へ、首相が参拝することは、近代史の中で日本が侵した戦争責任を否定することにつながる。日本の侵略を受けた中国や韓国は、この戦争責任の問題を重視しており、首相の靖国参拝をきびしく批判している。そのため、首相が靖国参拝にこだわれば、アジアの中で日本が孤立していく可能性がある。

 では、どうすべきであるのか。次のような、「特定の宗教性なしに公的な施設をつくり、原爆や空襲の犠牲者もふくめて追悼する。」、「靖国神社のA級戦犯を分祀し、首相の公式参拝を認める。」「現状のまま首相の靖国参拝を続ける。」「戦前のように靖国神社を国営の神社として、戦死者を追悼する。」「戦死者への追悼は個々人にまかせ、国が戦死者への参拝や追悼をやるべきではない。」などの意見が考えられる。
 しかし、中国、韓国、北朝鮮以外には、靖国参拝に公式に反発する国はないというのも事実であり、難しい問題となっている。

おわりに

おわりに遊就館視察を通じて、実際に展示されていたものを通じて感じたことを記す。
 靖国神社の歴史や古代、中世、近代といった日本の戦争を主とした資料や記録が祀られている遊就館、入ってすぐに目につくのが、ゼロ戦の模型や、当時の蒸気機関車のレプリカである。とても大きく、ゼロ戦の模型はかっこよく思えた。展示室では、当時の刀や武器、鎧が置かれていた。当時、精密機械などはなく、その中手作りでこれほどのクオリティの高いモノを生産できることに感銘し、驚いた。特別陳列室では過去に靖国神社に参拝を行った、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、皇太子といった方々の遺品や書物が展示されており、皇室と靖国神社とは深いつながりがあるということを改めて実感した。一番印象に残ったのは、太平洋戦争(大東亜戦争)にて、戦争で命を落とした老若男女の人々の写真や遺留品の展示である。私達と年齢が近い方々が多く、衝撃を受けた。
戦争で亡くなった人々の写真の中にはまだ中学生であった子供であったり、私たちと同じ年くらいの人であったり、そのような人々が戦争で戦って命を落としていた。今では考えられないことではあるが、戦時中ではそれが当たり前であったのだろうか。彼らは、どのような気持ちで戦争に臨んでいたのか考えると、彼らの勇気を誇りに思うと同時に、何とも言えない苦しい気持ちになる。今回の視察は、太平洋戦争が、いかに日本に大きな影響を与えた出来事であるか、また、戦争が生み出す悲しさを再認識する貴重な経験となった。日本に住む多くの方に、この地へ足を運んでほしい。

参考文献・URL

・遊就館ホームページ http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/index.html
・遊就館での各種配布資料