1990年代におけるブルマー排除に関する考察

地域行政学科 11組6番 榎 真生

【序論(目的)】

 2004年8月、オリンピック発祥の地であるアテネで、第28回大会が開催され日本の金メダル獲得数が過去最高タイ記録に並んだ。1928年の第9回オリンピック・アムステルダム大会にたった一人で初出場した日本人女子選手の人見絹枝は、現在のような事態を想像できたであろうか。今日、スポーツ界での女性の存在感はこれまでになく大きくなったといえるであろう。フィットネスクラブやスポーツブランドノメーカーなど今様々な分野で女性の割合が増えている。スポーツウェアに注目すると、街中でも着用されていることに気がつく。スポーツウェアはスポーツをおこなうためだけでなく、日常着・おしゃれ着として社会に浸透し、双方の境界線が以前ほどはっきりとしてはいない。こうした興隆の一方で、スポーツウェアとしての役目を終えて消え去ったものもある。女子体育着として着用されていたブルマーが、1990年代から一気に学校から消えていき、あっという間に短パン型に取って代わられた。そこで、本研究は、ブルマーの急速な減少の理由を社会的背景に焦点を当てて明らかにすることを目的とする。

【各章の概要】

第1章 体育・女性・ブルマー
 ブルマーは、女子だけが体育のときに着用する特殊な服装といえる。まずは、ブルマーを服装という視点から考えてみたい。ブルマーをみると、ブルマーはほとんどの場合、学校から指定されている。ブルマーを着用することによって、学校に所属していること、生徒であることが必然的に含まれる。さらに、ブルマーは男子ではなく女子の体育着であるために、下半身のごく限られた一部、より明確にいえば性別を判断する基準のひとつとなる外性器を衣服で隠すことによって、女性であることを強く意味するものと考えられる。そのため、ブルマー=女性であることを人々に印象づけるだけではなく、着用者のアイデンティティとも深くつながるといえる。

第2章 ブルマーに付与された社会的意味
 女子体育史研究を振り返ると、体育着の改良は、女性がスポーツに参加するための快適な環境をつくっていたといえるであろう。嫌悪されるどころかあこがれの対象でもあったブルマーの功績は決して小さくない。ブルマーのおかげで、男子とそん色なく学校体育を受けることが可能になった。その一方、女子だけが着用していたため、ブルマーは女性であることの記号として強力な意味を発しただけでなく、女子生徒の身体に女性であることを植え付けていたといえる。本章では1990年代にみられるブルセラ・ブームに着目し、ブルマーに付与された社会的な意味がどのように変化したのかを明らかにした。

【結論】

 ブルマーは脚が自由に動かせるようにと工夫されたものであり、女性に運動の機会を与えようと奮闘した先人たちの努力の結晶といえる。しかし、着用者によっていは、下着や太ももの付け根が見えるなど、身体における性的な羞恥心を露呈させる不満もあった。女子中・高生は大きな上着を着てブルマーを隠しながら体育授業に出席したり、あるいは生徒会を通じてブルマー改善を訴えたりしたが、学校側は生徒の管理やブルマーの機能性を主張して見直しへと進まなかった。ブルマーへの不満は深く潜行し、元着用者であり保護者となった母親の声となってのちに現れることになる。
 そして1993年、ブルセラ・ブームによってブルマーは大きな転換点を迎える。女子中・高生の身体とブルマーは性的な対象であることが白日の下にさらされたからだ。学校でも、女子中・高生が性的な存在であることはそぐわず、体育の教育目標もスポーツに親しむ態度や健康へと変化していたため、ブルマーに固執する理由が見当たらなくなっていた。こで、性的な対象となったブルマーを学校から排除することで問題解決をはかった。学校は、女子中・高生の性的な部分を封印するために、男女とも同じ短パン型に変更したのである。しかしこれは、女子中・高生の性的な部分を隠蔽しただけで、払拭ではない。ネット上などでブルマーが性の商品として流通していることからも、ブルマーの性的な側面にお墨付きを与えたとも解釈できるだろう。つまり、女子の体育着だったブルマーは、スケープゴートとして学校から姿を消したといえるのである。

【主要参考文献】

・GRAND SLUM 小学館
・企業スポーツの撤退と混迷する日本のスポーツ 
杉山茂 岡崎満義 上柿和生 (有)創文企画 2009年5月
・都市対抗野球に明日はあるか 横尾弘一 ダイヤモンド社 2009年8月
・財団法人日本野球連盟公式ホームページ http://www.jaba.or.jp/index.html
・財団法人野球博物館収蔵資料