古式サッカーの歴史

経済学科 31組10番 小寺 淳平

【序論(目的)】

 私は大学1年次に受講した国際地域研究基礎論で初めてサッカーの歴史に触れた。どのようにて現在の形式に辿り着き、古代・中世の人々にとってサッカー(球遊び)がどのような存在であったのか興味を持ったので研究しようと考えた。本論文では、サッカー(球遊び)の起源について紹介し、古代・中世の人々にとって球遊びがどのような存在であったか、なぜサッカーが世界中の人々に愛されるスポーツになったかを明らかにしていく。

【各章の概要】

第1章 イタリアの古式サッカー
 イタリアの古式サッカーはカルチョ(Calcio)と呼ばれるものであり、現在のラグビーに近い競技である。カルチョの起源は、古代ギリシア・ローマで行なわれていた軍事訓練であり、接触が多く時には死者が出るほど粗暴な競技であった。カルチョは中世のイタリアで行なわれ、特にフィレンツェとパドヴァのカルチョは有名であった。
 フィレンツェ・カルチョは、主に貴族階級の遊戯として楽しまれており、絶大な勢力を持っていたメディチ家をスポンサーとして発展していった。18世紀に一時消滅するが、1930年に復活し、現在でも6月に開催されている。
 パドヴァ・カルチョは、フィレンツェ・カルチョとほぼ同じであるがボールの運び方に特徴があった。フィレンツェ・カルチョは、サッカーのように足でボールを運ぶスタイルであるが、パドヴァ・カルチョは手を使いボールを運ぶスタイルであった。フィレンツェ・カルチョでも手でボールを打つことは認められていたが、卑怯者のすることであるとし嫌われていた。

第2章 イギリスの古式サッカー
 イギリスの古式サッカーは、シュローヴ・タイド・フットボールと呼ばれるもので中世のイングランドを中心に盛んに行なわれていた。シュローヴ・タイド・フットボールは、教会暦の四旬節の前日に行なわれることが多かった。四旬節とは、自らの行ないを悔い改める期間であり、豪華な食事や華やかな行事は慎む期間となっている。そのため、四旬節の前に贅沢な食事をし大騒ぎをする習慣となっていた。その1つとして、シュローヴ・タイド・フットボールは楽しまれていた。
 起源は、カルチョと同じ古代ギリシア・ローマで行なわれていた軍事訓練であるという説が有力である。ルールは、地域によってばらばらであり、長年伝えられてきた地域ごとの「しきたり」に基づいてプレーされている。
 シュローヴ・タイド・フットボールは、ボールを相手のゴールへ運ぶ(地域によっては異なる)と得点となる。競技場は、町全体であるためゴールとゴールの距離は数km離れている。中世のイングランドでも、特に有名であったのが、ダービーとアッシュボーンのシュローヴ・タイド・フットボールであった。アッシュボーンでは、現在でも当時と同じフットボールが毎年行なわれている。
 イギリス各地では、シュローヴ・タイド・フットボールと類似しているフットボール(ハーリング、ナッパン、キャンピングなど)が多数行なわれていた。

【結論】

 現在とは違い、娯楽が少なかった古代や中世の人々にとって球遊びや古式サッカーは数少ない楽しみの1つであった。また、楽しむだけでなく古代や中世の人々の考えを表す存在であった。
 古代から含めると、球遊びは約2000年以上の歴史がある。軍事訓練から始まり、娯楽として広まり世界中の人々に受け入れられていった。つまり、現在サッカーが世界中の人々から愛されているのも、約2000年以上の「球遊びが好き」という地盤があったからこそである。
 現在のサッカーは、商業化や審判の判定といった問題を抱えているため決して完璧なスポーツであるとは言えない。現在は人気であるが、この先もずっと人気であるという保障はない。しかし、娯楽や自己表現としての力を持つ「球遊び」はルールや形式は違えど、この世からなくなることはない。

【主要参考文献】

『スポーツ学のルーツ 古代ギリシア・ローマの思想』 高橋幸一 2003年
「エスニック・スポーツに関する研究-フィレンツェCalcio(カルチョ)の現代像」 中村泰介 2008年 
『フィレンツェのサッカー カルチョの図像学』 H・ブレーデカンプ 原研二 1993年
『サッカーとイタリア人』 小川光生 2008年
「A.スカイノの『球技論』(1555年)におけるカルチョ競技」 楠戸一彦 1987年
『フットボールの文化史』 山本浩 1998年
『フットボールの社会史』 F.Pマグーン.Jr.  1985年
『オフサイドはなぜ反則か』 中村敏雄 1985年