日本プロ野球の歴史と明治大学5キャンパスを巡る85キロ走破

経済学科 24組26番 飛澤 航平

【序論(目的)】

 日本ではプロ野球が国民から絶大な人気を誇っている。なぜプロ野球は国民に受け入れられ、人気が出たのだろうか。日本に野球が伝播した1870年代から現代まで続く12球団2リーグ制のプロ野球が開始された1958年までのプロ野球組織の変遷と、プロ野球組織の活動に影響を与えた社会的要素を研究することで明らかにしていく。その上で、日本プロ野球がより一層発展するためにはどのような要素が必要となるかを検討する。また、明治大学5キャンパスを巡る85キロ走破では、85キロ走破という目標を達成するためにどのようなチームプレーが発揮できるかを明らかにしていく。

【各章の概要】

第1章 初期の日本野球の歴史
 野球が日本に伝播し始めた1872~1881年頃、人々にとって野球は1つの遊戯に過ぎなかった。1882年頃から同好者達の集団によってチームが形成され、野球は競争の要素を強めていった。1890年頃から野球は学校でも競技として取り入れられ、各学校に学校運動部が設立された。それぞれ中学校・旧制高等学校・大学レベルでの野球組織の発展について述べていく。

第2章 日本プロ野球の始まり
 プロ野球球団の定義は「職業として野球を行っている」ということである。1921年に日本初のプロ野球球団である日本運動協会チームが結成された。このチームが結成された背景と解散までの過程を述べていく。

第3章 1920年代の野球チームと野球理念
 日本運動協会チームとほぼ同時期に結成された天勝野球団、大毎野球団それぞれのチームの野球理念を比較し、その差について述べていく。

第4章 現在のプロ野球制度の成立
 1936年2月5日、日本職業野球の創立総会が開かれた。プロ野球チームを支えた企業は新聞社関係4社、電鉄関係3社である。新聞社と電鉄会社の企業的性格を明らかにしながらプロ野球制度の成立について述べていく。

第5章 戦後からの歩み
 日本は1941年12月から戦争に参加していた。1944年秋にプロ野球は中断に追い込まれた。1945年11月23日のプロ野球再開から1958年までのプロ野球組織の変遷とプロ野球の今後の展望について述べていく。

第6章 85キロ走破
 明治大学は2011年に創立130周年を迎えた。現在は駿河台、和泉、生田、中野キャンパスで講義が行われており、2014年には新たに多摩キャンパスの建設が予定されている。5キャンパスを巡る走破を行い、明治大学に対する思い入れを強めつつ、仲間とともに困難に立ち向かうことで、チームプレーの可能性を検証していく。

【結論】

 野球が日本に伝播した1870年代初頭から1920年代にかけてアマチュアやプロの野球球団が数多く誕生し、解散した。1936年2月5日に日本職業野球の創立総会が開かれ、7球団によるプロ野球が始まった。また、1958年には、セントラルリーグ・パシフィックリーグそれぞれ6球団によって形成される12球団2リーグ制のプロ野球が開始された。この時代から今日までに多くのスター選手が誕生し、プロ野球は国民的な人気を得てきた。プロ野球が発展してきたのは球団関係者や選手だけでなくプロ野球を応援するファンが一体となってプロ野球を盛り上げようとする情熱があったからである。こうした「一体感」をプロ野球と国民が醸成させることが出来れば、今後もプロ野球が盛り上がり続けることは言うまでもない。また、明治大学5キャンパスを巡る85キロ走破では、困難に直面したときに発揮できるチームプレーの素晴らしさと仲間の大切さを再認識することが出来た。

【主要参考文献】

「近代プロ・スポーツ」の歴史社会学:日本プロ野球の成立を中心に 菊幸一 不昧堂出版 1993年2月