「秩父宮記念スポーツ博物館・図書館」視察報告書

報告者:伊原ゆう 太田集 木瀬圭太 望月敬太 山形珠礼(第3期生)
視察日:2010年12月9日(木)

はじめに

 2010年12月9日(木)、私たち後藤ゼミ3期生は、東京・千駄ヶ谷にある国立競技場(国立霞ヶ丘競技場)の中にある秩父宮記念スポーツ博物館・図書館に行ってきた。

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図 1 博物館正面

 そもそも国立競技場とは、独立法人日本スポーツ振興センター(NAASH)が管理・運営する国立霞ヶ丘競技場・国立代々木競技場・国立西が丘サッカー場・秩父宮ラグビー場の総称である。
 この博物館は、かつては1964年の東京オリンピックの主会場であり、現在も陸上競技やJリーグ、ラグビーの試合などで世間に知られている国立霞ヶ丘競技場のスタンド下に位置している。
 昭和天皇の弟君で、「スポーツの宮様」として親しまれた秩父宮雍仁親王殿下のわが国スポーツ界に対するご功績を記念するため、昭和34年に開設された日本で唯一の総合スポーツ博物館である。
 今回残念ながら競技場内は工事中とのことで見学はできなかった。
 国立競技場は首都東京にある上に立地も良いことなどから、各種競技の全国大会の決勝などに使用されることが多い。競技者からみれば、これらの施設は憧れの的であり、国立競技場でプレーした経験のある競技者は、各競技で相当レベルの高い部類に入る選手ということである。
 博物館の中に入ると、長年国立霞ヶ丘競技場でおこなわれてきたFIFAクラブワールドカップジャパン(クラブチームによるワールドカップ)の歴史の写真が展示してあった。
 写真は、2007年のFIFAクラブワールドカップジャパンで新調されたベンチの1人分の座席である。これは高級自動車のシートの技術を応用したもので、体を温めるためのヒーターも備わっている。

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図 2 選手待機用ベンチ

 上を見ると東京オリンピックで使われていたカヌーが吊られていた。

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図 3 東京オリンピックで使用されたカヌー

古代オリンピックの歴史

 古代オリンピックの展示では、歴史に関する資料や模型の展示があり、当時使われていたとされている汗取り器や競技場の模型が展示されていた。
 近代オリンピックは1896年に始まり、その前身となったのは古代ギリシアで行われていた「オリンピア祭典競技」、いわゆる古代オリンピックである。古代オリンピックが始まったのは、考古学的な研究によって紀元前9世紀ごろとされており、現代のオリンピックは世界平和を究極の目的としたスポーツの祭典であるが、古代オリンピックはギリシアを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事であった。

東京オリンピック

 1964年に開催された東京オリンピックは、東京という街の景観を一変させた日本史上の一大イベントとして今でも多く語り継がれている。東洋で初めて開催されたオリンピックは、当時では初めての衛生中継により、世界の注目を集め数々の感動のドラマを生んだ。そして日本はこの大会で、金メダル16個、銀メダル5個、銅メダル8個を獲得するという素晴らしい成績を残した。この記録は日本五輪史の中で、2004年の「メダル・ラッシュ」に沸いたアテネオリンピックに至るまで破られることはなかった また、多くの若いデザイナーたちを大胆に抜擢したことにより、日本のデザイン界に革命的な変化をもたらした。

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図 4 歴代オリンピック聖火トーチ

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図 5 東京オリンピックグッズ

日本における近代スポーツの発展の歴史(明治~平成)

・明治

 祭礼行事としてのスポーツの時代であり、明治維新前後には、軍事訓練として体操が欧米から移入された。近代スポーツが日本に入り、大学を中心にして花開き、大衆にも浸透していった。

・大正

 日本のスポーツが海外の舞台へと進出し、国際的視野を持ちはじめた。

・昭和初期

 日本のスポーツが国際的にも活曜をし始めた。徐々に軍靴の足音が高くなり、スポーツも戦争に利用されるなど、悲しいスポーツの時代へ突入した。

・昭和後期

 戦後、日本の復興にスポーツも一役買い、明るい話題を提供した。しかし、戦争の影はスポーツの世界にもおよび、戦前の活躍までは復活できないでいた。東京オリンピックをきっかけとして、日本は高度成長期に向かい出した。

※戦後のスポーツの復興
 ・「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進選手が水泳で次々に世界新記録を樹立した。
 ・東京オリンピック(1964)、札幌冬季オリンピック(1972)が開催された。

・平成

 日本国内で一流の国際試合が次々開催された。1998年には、日本サッカー界とファンの悲願であったサッカーワールドカップに初出場した。2000年のシドニーオリンピックでは、マラソンの高橋尚子選手が日本の女子陸上選手初の金メダルを獲得した。2002年には、アジア初のサッカーワールドカップが日韓共催により開催し、日本は初の決勝トーナメント進出を果たした。2004年のアテネオリンピックは「空前のメダル・ラッシュ」といわれる好成績で、特に女性選手陣の活躍が目立った。

秩父宮殿下遺品室

 秩父宮殿下は、「スポーツの宮様」と親しまれただけでなく、「山の宮様=プリンス・チチブ」という名でアルピニストとしても世界的に有名であった。
 秩父宮ラグビー場、大倉山ジャンプ場、花園ラグビー場の建設にも深く関わり、薨去(こうきょ)される直前まで陸上やラグビーをはじめ数々のスポーツを愛していた方であった。
 秩父宮殿下の御使用になったスポーツ用具用品や数々の御下賜品など殿下を偲ぶ記念品を展示していた。

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図6 秩父宮殿下遺品室

冬のスポーツ

 北国の人々の素朴な生活用具であった滑走具や歩行具が生活の知恵によって工夫改良され、やがてスケートやそり遊びになり、それが多くの人々の間でスポーツとして取り上げられるようになった。

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図7 下駄スケート

日本における古いスポーツの力石、蹴鞠、流鏑馬

・力石

 社・寺院に置かれた特定の石を持ち上げて重いと感じるか、軽いと感じるかによって吉凶や願い事の成就を占うものである。もともと占いのために持ち上げていたものが、娯楽や鍛錬のための力試しになった。
 江戸時代から明治時代にかけては力石を用いた力試しが日本全国の村や町でごく普通に行われていた。個人が体を鍛えるために行ったり、集団で互いの力を競いあったりした。神社の祭りで出し物の一つとして力試しがなされることもあったが20世紀後半に力試しの習俗は廃れ、かつてあった力石のほとんどは行方不明になった。そんな数少なくなった貴重な力石を展示してあった。

・蹴鞠

 大和朝廷時代に,中国から伝えられたといわれる球戯の一種だが、日本に入ったときから、相手に受け取りやすく打ち返しやすい配球をし、リフティングとアシストの上手さを競う勝敗のない至って平和な球技である。
 日本では、平安時代中頃以降、宮中や公家において盛んに鞠会が催され古文書にもその記述がしばしば見られる。鎌倉時代には、武士階級でも盛んに蹴鞠が行われるようになり、室町時代を経て江戸時代に入ると、徐々に一般庶民にまで普及し、一般民衆に至るまで老若男女の差別無く親しまれた。また、謡曲・狂言・浮世草子など様々なところでも題材にもなっている。蹴鞠に関する種々の制度が完成したのは鎌倉時代で、以降近代に至るまでその流行は衰えることは無かった。

・流鏑馬

 騎射の一種で、馬に乗りながら鏑矢を射流して板的を射当てる競技であるかのように解説されてはいますが、流鏑馬本来の姿は、今から約千四百年前に神事として起こった「矢馳馬 ヤバセメ」の訛化であり、広義には騎射の一種ではあるものの、それは決して競技に類するものではなかったと伝えられている。

スポーツ図書館

 スポーツ図書館は博物館とほぼ同時期に開館し、スポーツを研究する人のために、各種の雑誌、関係書籍などの資料を揃えた専門図書館である。スポーツ史に重点を置いた蔵書の冊数は約3万冊、所蔵雑誌は約400種類、7万冊あり、特にスポーツ誌のバックナンバーが充実している。

まとめ

 今回私たちは博物館見学を通じて、スポーツの醍醐味とも称されるオリンピックの起源や歴史、東京オリンピックにおける日本の功績、近代スポーツが発展するまでの歴史を存分に学ぶことができたと思う。また図書館には、スポーツに関する貴重な本が多数あり、卒業論文制作時にはお世話になること間違いないと思った。

謝辞

 最後になりましたが、今回私たちのために、見学の際に丁寧な解説をしていただき、補足資料もいただくことができ、「秩父宮記念スポーツ博物館・図書館」の職員の皆様に、心から感謝申し上げます。

参考文献

・秩父宮記念スポーツ博物館・図書館のしおり
・秩父宮記念スポーツ博物館・図書館公式HP http://naash.go.jp/muse/
・JOC公式HP http://www.joc.or.jp/olympic/history/001.html