「秩父宮記念スポーツ博物館・国立霞ヶ丘陸上競技場」観察報告書
報告者:伊谷燎・戸邉優貴美・林悟・日野雅晃(第6期生)
視察日:2013年11月28日(木)
はじめに
2013年12月8日木曜日、秩父宮記念スポーツ博物館・国立霞ヶ丘陸上競技場(以下、国立競技場)の視察を行った。天気は快晴。我々6期生は千駄ヶ谷駅から徒歩5分程で到着したが、最寄駅から国立競技場までの他ルートは以下の通りである。11月下旬という事もあり、千駄ヶ谷から現地までに銀杏の木が黄色くなっていて秋を感じられた。
図1 最寄駅からのルート案内
図2 銀杏並木と日野と鈴木
1.現国立競技場の基本情報
所在地は東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号である。
第2次世界大戦後の敗戦から数年、「平和な日本の姿をオリンピックで世界へ示したい」として、1958年に旧明治神宮外苑競技場跡地に「力強さ」「簡潔」「優美」というデザインコンセプトのもとに、現在の国立競技場へ生まれ変わり、「第3回アジア競技大会」が東京で開催された。(建設計画中心部:角田栄 建設、片山光生 デザイン)
昭和39年「第18回オリンピック競技大会・東京大会」の開会式が、国立競技場で行われた。そして、現在では、サッカーJリーグをはじめ陸上競技、ラグビーなど各種の国際大会や、選手権大会が数多く開催されている。しかし、2020年の東京オリンピック開催が決定したことで来年2014年から改築されることが決まったため取り壊すことになっている。
・施設概要
- 敷地面積77,707平方メートル
- 建築面積33,716平方メートル
- スタンド面積25,346平方メートル
- 構造鉄筋コンクリート造一部鉄骨5階建て
- 収容人員50,399名(障がい者40席を含む)
- 芝生面積7,597平方メートル
- (夏芝、ティフトン、冬芝、ベレニアルライグラスによる二毛作で通年緑化を実施)
まず、国立競技場を観客席から見ると屋根が無いこともあり、空と競技場には距離を感じない程の空間があった。視察の当日は、聖火台に火がついていた。
図3 誰もいない国立競技場
図4 右客席は特別席(192席)、VIP席(261席)、ロイヤル席(34席)
図5 燃え上がる炎と聖火台
図6 早明戦を控えている牛原寛章
一見、競技場だけの施設に見えるが施設内も以下の構成により有効活用されている。
・国立競技場内フロア構造
- F1グラウンド、室内練習場、各種会議室
- F2貴賓室、特別席
- F3回廊走路、ラウンジA、VIP席
- F4記者席、ロイヤル席
- F5放送用ブース、スカイラウンジ、オペレーションルーム
回路走路は大会時には観客の通路となり、大会のない日はトレーニングセンターの利用者に開放され、自由に走ることができる。
2.秩父宮記念スポーツ博物館内の展示について
- 2-1.館内展示
秩父宮記念館のエントランスには実際に使用された表彰台が設置してあり、50年近く時を経ているにもかかわらずゼミ生が乗っても揺らぐことのない頑丈な作りである。
図7 1964東京五輪で使用された表彰台
図8 スポーツイベントポスター
エントランスの壁面には時代を感じさせる各種スポーツのポスターが張り出されている。
現国立競技場は第18回東京オリンピックの競技場として1958(昭和33)年に建設された。そのため、第18回東京オリンピックにまつわる展示品が多く、以下その一部を紹介していく。
図9 第18回東京オリンピック各メダル
図10 マラソン競技におけるデッドヒート
図11 マラソン、競歩コース概要
図12 円谷幸吉足型
大会最終日に行われたマラソン種目は国民に大きな感動を与えた。国立競技場内で繰り広げられた日本の円谷幸吉とイギリスのヒートリーの熾烈な争いは今も語り継がれている。
図13 東京オリンピックで使用されたトーチ
- 2-2.常設展
秩父宮記念スポーツ博物館の常設展について一部紹介していく。以下の展示品は江戸時代の終焉から欧米スポーツの流入といったスポーツの歴史を検証する上で非常に大切な資料である。
図14 初期の野球装具
明治17年頃は「ナインボール」と呼ばれる打者がコースの指定をできるルールがあった。また野手がミットを使用し始めたのは明治29年以降である。
図15 マラソンシューズの変遷
足袋から始り度重なる改良の末、現行のマラソンシューズにたどり着いた。
図16 人見絹枝
図17 人見絹枝に関連する文献
日本女性初の五輪メダリスト。女子陸上競技の草分け的存在で、女性がスポーツをすることが好まれない時代でありながら女性の競技進出の先駆けとなった。
図18 日本古来のスポーツ(1)
図19 本古来のスポーツ(2)
このように蹴鞠といった日本で古くから行われていたスポーツの展示も行われている。
図20 秩父宮殿下の胸像
図21 秩父宮殿下のご遺品(1)
図22 秩父宮殿下のご遺品(2)
スポーツをこよなく愛し「スポーツの宮様」として国民に慕われていた秩父宮殿下についての展示もなされている。
- 2-3.寄贈品
オリンピックに芸術部門が設けられていたようにスポーツは美と力を体現するものであった。古代オリンピックでは美と力は同等に尊ばれ、彫刻や詩、音楽までもスポーツ競技と同じように扱われていた。以下寄贈された芸術作品をいくつか紹介する。
図23 御者の像
古代オリンピックにあった馬車競技の像で第11回ベルリンオリンピックで芸術競技金メダルを獲得した。
図24 レスリング像
レスリングの力強さと肉体美を表現している。
図25 ハードル走者
第11回ベルリン大会芸術競技、彫刻部門、優勝作品。ハードル走者の流体的な動きを表現している。
図26 国立競技場模型(1/500スケール)
オリンピックのその後も数多くの感動を残した国立競技場。今その長い歴史に一時幕を下ろし、新国立競技場として末永くスポーツの未来を支えていくことだろう。
- 24.おまけ
図27 今にも走り出しそうな林ゼミ長
3.現在の国立競技場とその今後
- 3-1.国立競技場の現状
今回の視察では現国立競技場の電光掲示板側のスタンドに上がって見学することが出来た。(26番ゲートより入場)現在の国立競技場内陸上競技用トラックは8レーン構成。ホームスタンド側に1本、バックスタンド側トラック内外に各1本ずつ計3本跳躍種目用のピットが設備されている。加えて、電光掲示板側に砲丸投げ用のピット、投擲用サークルが各1つずつ、電光掲示板逆側に投擲用サークル(ハンマー投げ、円盤投げ)が1つ完備されている。
図28 現国立競技場、電光掲示板側からの写真
現在の国立競技場の収容人数は5万0339人。この座席数は度重なる改修によって減少していった結果の座席数であり、1964年の東京オリンピックの際には7万人以上が収容可能であった。ちなみに東京オリンピックの開会式で記録された7万2000人が国立競技場の最多記録として現在も残っている。ちなみにその他国内大会では、1981年にラグビー早明戦で6万6999人もの人数を収容した。
図29 国立競技場バックスタンド風景
また、国立競技場は観客席とトラックの距離が近いという特色を持っている。最前席に行くと8レーンとの距離は10mもないほどである。こうした構造によって観客は、選手が間近で競技している姿を見ることが出来る。また、トラックに近い地点から空に向かって突き上げるように囲まれた国立競技場のスタンドの構造は選手にとって、観客により密接に囲まれている感覚を持って競技することが出来る。なお、図3の写真右にある白いポールは「織田ポール」と呼ばれ、高さは15m21cmとなっており、これはアムステルダム五輪男子三段跳びで織田幹雄が日本人初の金メダルを取った際の記録(15m21cm)に由来している。
図30 織田ポールとメインスタンド
現在の国立競技場は64年の東京オリンピックの舞台になったことはもちろんであるが、その後も数多くの歴史的な瞬間を見届けてきた競技場である。例えば91年の世界陸上東京大会では男子の100m、走り幅跳び、4×100mRの3種目で世界記録が樹立されており、その中でも走り幅跳びのマークパウエル(アメリカ)が樹立した8m95cmの世界記録は22年経った今でも更新されていない。装具技術や人類の身体の進化で年々世界記録が更新される中、日本の国立競技場で生まれた世界記録は今もなお燦然と輝いている。国際大会だけでなく、ラグビー早明戦、全国高校サッカーの開幕戦・準決勝・決勝、陸上競技の関東インカレ・全日本インカレなどの国内ビッグスポーツイベントも数多く国立競技場で開催されている。
図31 2013年12月1日ラグビー早明戦応援風景
(明治サイドから撮影。観客席はこの日訪れた4万7000人の観客に埋め尽くされている。)
図32 同日ラグビー早明戦応援風景(早稲田サイドから)
しかしながら、現在の国立競技場は近年問題点を多く指摘されている。まず1つは老朽化。改修が多くあったが、概ね現在の姿が出来たのが1964年の東京五輪の時と考えても半世紀もの時間が経っている。地震大国の日本にとっては非常にリスクの高い状態であると言える。加えて収容人数が約5万人しか収容できない点なども問題点として挙げられる。大規模な国際大会を行うには収容人数規模が少なすぎると言わざるを得ない。さらに細かいことを挙げていけば、陸上競技用トラックが8レーンしかないこと、幅跳び、三段跳び用のピットが1レーンずつしかない、トラック内ピッチの横の長さが短い(ラグビーの試合の際には人工芝のマットを敷いてピッチの長さを延長して対応)などがあり、現代のスポーツイベントの規格に追いつけていない現状はどう考えても否めない。そして、さらに問題なのは国立競技場の立地である。国立競技場周辺には目立った商業施設もなくスポーツイベントの際には観客の行き来の時間が分散せず、同時間帯の人の移動によって大混雑が発生する。現に今年12月1日の早明戦ではエール交換・セレモニー終了後、帰宅する4万7000人で大混雑し、周辺の千駄ヶ谷駅、外苑前駅、信濃町駅は大混乱となっていた。2020年のオリンピックを見据え、国立競技場は変革の時を迫られている。
- 3-2.国立競技場の今後
上記にもあったように現在の国立競技場は、老朽化や将来的なイベントに対応するためといった目的から、大規模な建て替え工事が行われる。2014年夏に解体が始まり、約5年を経て2019年秋に完成予定だ。これは2020年の東京五輪はもちろん、2019年に開催されるラグビーワールドカップでも新国立競技場を使用する予定だそうだ。新国立競技場が予定通り完成すると、収容人数は8万人になり、横浜日産スタジアムの7万2000人を抜き、国内最大のスタジアムとなる。競技場内容は現代の競技規格にも沿うもので、より多くの国際大会が開催できるようになるだけでなく、収容人数が増えることでコンサートなどのスポーツ以外のイベントにも広く利用されるようになる。
図33 新国立競技場完成予想図
引用元 http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/ (2013.12.9閲覧)
しかしながら現在、新国立競技場建設には早くも暗雲が立ち込めている。1つ目は予算の問題である。建設にかかる費用は計画当初1300億円と見込まれており、政府の負担で東京都に一切の負担はないとしていたのだが、その後の試算で3000億円まで膨れ上がり、政府は建設規模の見積もりを見直した。(その後11月26日に日本スポーツ振興センターは床面積を25%削減し、費用を1785億円まで縮小すると発表した。)さらに、新国立競技場は現在の国立競技場よりも多くの敷地面積を必要とし、現実的に周辺に土地が少ないという問題点が挙げられている。現在週末にフリーマーケットが行われている国立競技場南側明治公園と青年館の土地を使用することは決まっているがその他の建設土地拡充に苦しんでいる。問題は費用や敷地などの現実的な面だけではない。3-1でも述べたように、数多くの国内ビックスポーツイベントが開催される国立競技場は日本のスポーツにおいて「聖地」とされており、たとえ不便でも今の国立競技場にこそ価値があるとする声は大きい。実際に、現在の国立競技場での最後の早明戦となる今年の早明戦は、早稲田・明治の両校が協力し「国立をホームにしよう。」といった活動を行っていた。また、2020年東京五輪開催が決まった記念すべき日が大会期間中にあった陸上競技の全日本インカレを始めとし、以後のイベントでも度々聖火台に点火が行われ、最後の国立競技場に思いを馳せる活動が多く見られていた。
図34 2013年ラグビー早明戦での両校の活動「国立をホームにしよう。」
引用元 http://www.meijirugby.jp/topics_detail3/id=507 (2013.12.9閲覧)
ラグビーだけでなく国立競技場に関わる種目の関係者にとって現在の国立競技場は特別な存在であり、そこでプレーした人間だけでなく訪れた人間までも国立競技場に魅了されてしまう、そんな競技場なのである。今の国立競技場が形をなくしてしまうことは惜しまれるが、歴史的な瞬間を幾度となく見守ってきた今の場所にこそ、新国立競技場を建設する意義があるという考え方もできる。
現国立競技場に対する惜別の思いと、2020年東京五輪を見据えたスポーツ新時代を待ち望む思いに迎えられて2019年、国立競技場は新たな1歩を歩み始める。
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図2~図32は著者による撮影