なぎなたの発展史

政治学科 5組30番 山浦 由佳

【序論(目的)】

 私は小学生の頃になぎなたを習っていたこともあり、身近な武道の一つであると考えていた。1990年には国際なぎなた連盟が発足され、4年に一度世界大会も行われている。しかし競技人口は年々減少しており、実際なぎなたに携わっていない人で、ルールや歴史について知る人は少ないように感じる。本研究では、発展していった各時代でのなぎなたの持つ役割の違いを明確にしつつ、より多くの人にその魅力を伝えることを目的とする。

【各章の概要】

第1章 薙刀の歴史
 誕生から衰退、再生までの歴史について触れる。『本朝(ほんちょう)武芸(ぶげい)小伝(しょうでん)』によると、平安時代には薙刀は既に戦の武器として用いられていた。長い柄があり、切る、薙ぐ、また刃先のどちらでも突くことが出来る薙刀は、平安・鎌倉時代では非常に効果的な武器とされ、歩兵の武器として広く使用された。しかし鎌倉末期より、戦術の変化や鉄砲などが導入されたことによって戦場で使用されることはほぼ無くなり、衰退していった。江戸時代に入ると、薙刀の特徴である遠心力で男性との体力差をある程度乗り越えられると考えられ、武家の婦女子のたしなみとして再び世に登場した。

第2章 近代教育における薙刀
 学校教育に導入された過程を辿る。1911年に作られた「学校体操教授要目」の正課として含まれていなかったが、全国各地で薙刀を奨励する学校はあった。1936年の改正によって正課として取り入れられた。薙刀を指導していた学校は、1933年には21校であったのが、1937年には149校にまで増加した。指導教本も数多く出版され、指導者数も急激に増加した。この頃の稽古方法は主に形のみの指導であったため、競技性を求める声も上がった。実際に草案が作成されたが、武道禁止令が出され使用されることは無かった。

第3章 戦後の薙刀
 全日本薙刀連盟(以下 連盟)発足の歴史と現在のなぎなたについて触れる。連盟が発足したことで試合競技用薙刀やルールが整備され、現在のスポーツとしてのなぎなたが形作られた。薙刀という字が当用漢字に無かったこと、漢字に軍事的なイメージがあったことを理由に、1958年に表記を「なぎなた」に統一した。

【結論】

 武器としての薙刀、武家の婦女子のたしなみとしての薙刀、現在の武道としてのなぎなた、それぞれが各時代の流れに合わせて今日まで発展してきた。競技者の高齢化も進んでいる現在の課題としては、競技人口、特に若い世代の競技者の増加が最も重要である。そのためにも、なぎなたの存在を今以上に広めていく必要がある。そして一人でも多くの人になぎなたのルールや理念を知ってもらい、その魅力に触れて欲しいと思う。

【主要参考文献】

『武具の歴史とその精神』国際武道大学付属武道・スポーツ科学研究所 2008年
『体操・薙刀からスポーツへ 戦前の女子高等機関における身体教育』江刺正吾 道和書院 2003年
『新なぎなた教室』全日本なぎなた連盟 平凡社 2003年