アマチュア野球界発展へ ~社会人野球の未来~

地域行政学科 10組10番 小原 愛美

【序論(目的)】

 私は体育会硬式野球部でマネージャーを務めてきた。そしてその中で大学野球を終え、それでも尚野球を続ける選手が進むひとつの道である社会人野球界に興味を持った。アマチュア野球界の中でも衰退の一途を辿っている球界であり、あまり多くの若者に馴染みのない球界であるが、社会人野球が発展し、明治大学野球部を卒部した選手たちにとっても更なる飛躍の舞台になることを私は望んでいる。なぜ社会人野球が衰退してしまったのか、今後どうなっていくべきなのかを明らかにし、今後の発展について考えることを目的にこの論文を進めていく。

【各章の概要】

第1章
アマチュア野球の中の社会人野球
 社会人野球の始まりから現在に至るまでの歴史について触れる。社会人野球(企業チーム、クラブチーム、専門学校チームで成り立つ。)は新橋駅の鉄道関係者が1878年(明治11年)に結成した新橋アスレチッククラブというクラブチームが発端である。その後、第一次世界大戦がもたらした好景気により、1916年(大正5年)あたりから多くの企業が野球チームを持つようになった。2012年5月31日現在で日本野球連盟に加盟しているチームは活動休止チームを除いた会社、クラブチームを合わせると357チームである。1年間の主な大会として都市対抗野球大会、社会人野球日本選手権、全日本クラブ野球選手権が挙げられる。

第2章
都市対抗野球大会
 社会人野球発展とともに歴史を築いてきた都市対抗野球大会について触れる。1916年(大正5年)頃から企業チームが増え始めた。当時、人気を集めていた中等学校(現在の高校)野球、東京六大学野球の花形だった選手のプレーをもう一度見たいと願ってもプロ野球も発足しておらず不可能だった。そのような時、東京日日新聞(現毎日新聞社)社会部長の島崎新太郎が「アメリカのメジャー・リーグが本拠地都市を背景にして戦っているように、全国の実業団チームやクラブチームを都市の代表にして、神宮球場に集めてはどうだろう」という提案をした。そして、1927年8月3日、神宮球場に12チームを集め、第1回都市対抗野球大会(以下、都市対抗)が開催された。その都市対抗も現在、様々な問題を抱えている。『都市対抗野球に明日はあるのか』の著者である横尾弘一は特定シードとチーム券の公平・不公平、入場者数の減少、応援スタンドのあり方、メディアの扱い、選手OBや歴史を重んじることへの価値の5つを問題点として指摘し、それに対する解決案を提示している。

第3章
社会人野球の未来
 2009年春、日産自動車野球部の休部という発表に強い衝撃が走った。企業が業績不振に陥ったり、社会全体の景気が低迷してやむなく従業員のリストラを考え始めた時、取引銀行や株主、あるいは、社会に対して「うちはこれだけの血を流している」とアピールするためにも、企業は経済的な利益を生み出さないスポーツ部の廃止に踏み切る。しかし、野球部が存在することによってかかるのは年間3千万円から5千万円であり、日本の社会をリードする大企業が数千万円で活動している野球部を休部にすることは、会社の経営規模から考えれば、社会的アピールにすぎない。企業における存在意義を示すため各チームのスタッフは日々励んでいる。そして会社チームが減少する中、日本野球連盟も様々なチーム形態を認めるなどして、衰退に歯止めをかけるべく動き出している。

【結論】

 社会人野球が衰退してしまった理由として、第1に社内での存在意義が危うくなっていること、そして第2に社会人野球界が外部の組織、例えばメディアであったり、プロ野球界または大学野球界をはじめとする他のアマチュア野球界との接触を怠っていることが考えられた。そして、今後社会人野球が発展するためにはこれら2つの原因を解消していくことが重要になっていくと思う。

【主要参考文献】

・GRAND SLUM 小学館
・企業スポーツの撤退と混迷する日本のスポーツ 
杉山茂 岡崎満義 上柿和生 (有)創文企画 2009年5月
・都市対抗野球に明日はあるか 横尾弘一 ダイヤモンド社 2009年8月
・財団法人日本野球連盟公式ホームページ http://www.jaba.or.jp/index.html
・財団法人野球博物館収蔵資料