サッカーから見る日韓文化の比較

経済学科 20組40番 徐 哉用

1.本研究の動機・目的

 日本と韓国、一番近くて遠い存在とも呼ばれる両国は昔から歴史や文化等、様々な面においてよき協力者かつライバルであった。日本と韓国の間には、長い歴史のなかで形成されてきた独特の感情が存在する。
 本研究で明らかにすべき課題はサッカーにおける日韓戦が両国にとってどのような意味を持ち、どのような歴史的な展開を繰り広げてきたのかである。その中で両国のサッカースタイル及びサッカーを取り巻く両国の文化の特徴を明らかにしていく。さらに、単なるサッカーの比較のみならず、両国の文化比較にも触れていきたいと思う。

2.日韓戦の概要及び戦績

 戦績は日本が13勝、韓国が40勝、22の引き分けとなっており、韓国が大きく勝ち越している。なお、引き分けの中には公式戦によりPK戦が行われたものが4度あり、日本が3勝、韓国が1勝となっている。日本にとってはFIFAワールドカップやオリンピックに出場して世界の舞台で戦うためには、韓国はアジア地区予選で避けては通れなかった相手であった。しかし、時代とともにアジア地区の参加チーム数が増加したことや近年はアジアに割り当てられる出場枠が拡大され、さらに両国ともにシードされることも増えたため、直接、顔を合わせることは以前に比べ稀となった。

3.柔の日本サッカーvs剛の韓国サッカー

 日本と韓国、サッカースタイルでの比較軸は、「柔」の日本、「剛」の韓国である。日本のサッカーは合理性を求め、安全を重視したプレーをする。柔軟にパスを繋ぎ、ゲームを支配しようとするが、ゴール決定力に難がある。一方、韓国はきめ細かいパスより後方から前方にいきなりロングパスを出し、前方の選手の個人能力(例えばフィジカルやスピードなど)でとにかく勝負する。直線的にゴールを目指すが、そこに至るまでの過程を省略する傾向があり、苦戦を強いられる場合がある。両国の国民性のイメージとして描かれる点がそのままピッチ上に現れている。

4.安定感の日本vs突発性の韓国

 日韓の違いを表すキーワードとして「突発性」というものがある。目標達成に実直に向かうメンタリティが生み出すものだ。2003年3月28日の「日本vsウルグアイ」の主審を務めた韓国の国際レフリーキム・テヨンは雑誌『Number』575号(文藝春秋)次のようにコメントしている。「韓国は(伝統的に)MF(ミットフィルダー、以下MF)の構成力が劣る分、前線に大きい選手や早い選手がいて、個人能力を発揮する。彼らがサポーターも想像できないような驚くべきゴールを突発的にきめるのです。反面、戦術面で弱いから、ゲームごとに波がある。だから時々大敗するんですよ。言ってみれば、偶然性のサッカーですね。一方、日本は戦術を突き詰め、安定した試合展開を心がける。必然性のサッカーをしてきましたよね。弱点は日本でもすでに語りつくされているでしょう。局面が詰まったときに打開する力がないことです。韓国と比べると日本の姿がよく分かります。ジーコの試みは、この伝統の打開といえるのかもしれませんね」

5.欧州サッカーとの関わり方の相違

 韓国では、日本よりも「欧州のどの国に移籍したのか」を問う傾向がある。「ビッグリーグ」とは、イングランド、スペイン、イタリア、の3国のリーグを指す。それ以外の国は、そこに行くためのステップだとはっきりと分けているのだ。だから、ドイツに多くの日本選手が進出しても、それは「ビッグリーグではない」という解釈になる。もちろんオランダ、ベルギー、フランスも同一である。さらに、この「ビッグリーグ」の解釈も、日本と大きく異なり、イングランドがトップである、その後はスペイン、さらにイタリアとなればかなり興味が下がる。日本ではイングランド、スペインが一般的に2大人気リーグとなっている。韓国の「ビッグリーグ」の解釈でイングランドのトップとなったのは、もちろん、韓国人にプレミアリーグの激しいスタイルがマッチしたということもあるが、やはりパク・チソンの影響が大きいと考えられる。

6.結論

 一番近くて遠い国、日本と韓国の両国は昔から文化や歴史など多方面で密接な関わりを保っており、その中で形成されてきた隣国ならではの独特の感情が存在する。特に、植民地支配や、領土問題など、今現在においても、解決されていない課題は山積みであり、しばらくの間は解決のめどがたたない現状であるそれでは今後両国はどうあるべきなのか。答えはとてもシンプルだと考えられえる。今までは宿命のライバル、犬猿の仲だったとすれば、これからはやはり相手のことを分かち合い、尊重し合っていくべきであると考える。日韓戦が交流を深める一つの手段となって、国際協調の礎になることが望ましい。これからは相手のことを理解し合い、相互に学べることがあれば積極的に取り入れる、よきライバルとして切磋琢磨していくべきである。